映像の世紀

 映像の世紀11回終了ということで雑感。1995年の放送から再放送されるたびに観てるけど何度観ても飽きない。観るたびに新しい発見があるし、これまでに得た知識とリンクすることがなんとまぁ多いこと。あらためてこのドキュメンタリーの奥深さを感じる。
 最終回JAPANについてすこし。日本というと戦後の”経済大国日本”が私たちに馴染みがあるしそれしか知らないという人も多そう。だけど”アジアで初めて西洋に対抗し得る国”として世界の注目を集め脅威となった日本があったということ。そこからアジアのリーダーとしての責任を負いアジアの解放を国策として掲げたことは決して過ちではないこと。ただ、これも軍部のスローガンとして利用されただけになってしまった。むしろ軍部が創り出した物語だったのかも。あぁしかしあの頃の日本。郷愁めいたものを感じる。それをあのままの形で復活させようなんて思想めいたことはナンセンスだけどね。日本のナショナリズムは力を失っているし、それを持つことに後ろめたさみたいなものを感じているような気がする。
 ついでに私の戦争体験を少し。今は語ることのできなくなってしまった方にかわって。わたしの祖父は広島・呉の海軍工廠で軍艦の開発に従事しておりました。あの戦艦大和の開発にも携わっていたようです。あの御影石のドックで出来上がっていく軍艦をさぞかし誇りに感じたことでしょうね。当時、世界最高水準の造船技術に携わっていたわけですから。それだから敗戦はかなりのショックだったのでしょう。わたしの知る祖父は精力的な活動をすることなく、ただ1日じっとして過ごす人でした。甘納豆が好物でわたしにわけてくれたのをおぼえています。
 つづいて被爆体験した叔父のお話。叔父は広島市内の学校に通っていました。しかも爆心地にかなり近い場所。原爆投下の時刻、学校の運動場で集会が開かれていました。多くの児童が飛来したB29を見上げるなか、叔父はどういうわけかしゃがみこんでいました。そして爆発。周りの児童が壁になって閃光をまともに受けずに済んだのです。他の児童はほぼ即死だったようで叔父はひとりでその場を逃げ出しました。幸運にもそこへ車が通りかかり便乗してすぐさま広島を離れたそうです。そのため長時間放射能を浴びることもなかったようです。大きな後遺症に悩まされることなく60歳まで長生きされました。
 これらの話は本人から直接聞いたものではないので多少誤りのあるおそれがあります。戦争の話はタブーっぽいところがあってなかなか聞き出しにくいです。親戚だとなおさら。当時まだわたしは子供でしたし。いま思うと後悔。何か受け継ぐものを失った感じ。